さりげなく生きるだけさ。

突然ですが『ギンギラギンにさりげなく』って、どういう状況ですか?

ギンギラギンは自己主張が強すぎて、さりげなくするには難易度が高すぎるような気がするんですけど、いかかでしょう。

もし『ギンギラギンにさりげなく』してる人がいたら、そいつはきっと『愚か者』です。あ、うまい。

実家からお米が送られてきました。同時にお菓子とか色々ダンボールに詰めて送ってくれまして。

「ちゃんと栄養のあるものを食べること!」みたいな手紙も同封されてました。チャルメラの上に置いてありました。おそらくボケじゃありません、天然のやつです。

やっぱ母親っつーのは色々気になるのか「たまには顔を見せに来い」とか「連絡の一つもよこしなさい」とか。普段はうるさい存在ではありますが、気にかけてくれるのはありがたいもんです。

非常にありがたいんです。非常にありがたいんですけど、息子として1つ言っておきたいことがあります。

ダンボールに『父・夏物』って書かれてんのは、受け取るのも憚るわ!!!せめて『父・冬物』にして!!!というか真っ新なやつにして!!!そこは、しっかり『ケジメなさい!』っつって。

「じゃあ元々入ってた父の夏物はどこにいったの?」とか、しなくていい心配をするハメになりましたよ。多分ですけど運送業者のお兄さんも困惑してましたよ。「この時期に夏物?」っつって。

しかも、赤いマッキーでデカデカと書かれてました。隠そうって恥じらいがあったのか、伝票で若干隠そうとしてる感が全面的に出ていて逆に目立ってるっていうね。

「こういうのって何て言うんだろう?」って思って小一時間ほど考えたら『ギンギラギンにさりげなく』ってのが非常にしっくりきました。

送られてきたお菓子の一部が賞味期限が切れていたので「そいつがお前のやり方かー!!!」って。マッチというよりか、ゆいPですけど。

色々言いたいことはあるんです。入れ物のダンボールもそう。よれよれのダンボールをガムテープかなんかで補強してました。

たぶん「ダンボールがもったいない」って考えから、そうやって補強して使ってきたんでしょうけど、それに使ったガムテープに対して、なぜ「もったいない」という考えが生まれないのか。

エコっつーより、もはや『エゴ』なんですよ。

少しでも安いスーパーに買い物行くのに、時間とガソリン代と労力かけて行きますからね。それ、総合的に考えたら近くのスーパーのが安いよ?っつって。

ウチの母親は変な部分で倹約家なもんで、幼少の頃は色々と恥をかいたものです。

っつーのは、その家庭その家庭でやり方って千差万別なわけで、とりわけ幼少期であればあるほど、浮いた行動をすると指を差されますから。

ウチでは基本的に『出されたご飯を残すこと』はタブーで、それこそお茶碗にご飯粒が付いてると怒られました。それくらいなら普通じゃないですか?むしろ教育としてはイイと思うんです。

ただし、いきすぎてですね。カップアイスの蓋とか、プリンの蓋の裏に付くやつ。アレも網羅しろって教えだったんですよ。

だから、人前でもベロベロやってました。親の教えを絶対だと思ってベロベロやってました。給食でプリンが出るたびベロベロ。友達のお家でアイスもらってベロベロ。

そんな育ち方をするから、世の中を舐めた人間になるんです。そして大人になって気付くんです。これは『親のエゴ』だと。

そして今もアイスの蓋を舐めながらブログ書いてます。

っつーかね。ここまでくるとエコっつーより、もはやネコ。

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コメント

  1. mamichansan より:

    でも、使いたいときに限って絶対、無い!ってなるものの代表だと思いません?段ボールって。
    ねえ?

  2. xx_mar0_xx より:

    マミーさん、ウチは田舎だから近所のスーパーで普通にくれるんで、あんま困らないんですよ。
    使いたいときに限って無いものっつったら、
    おりの中では断然『朱肉』です、はい。