小学校の高学年くらいの頃なんですけど、おばあちゃんの家に行くとアルバムが置いてあって、それを見ながら親が好き勝手言うわけです。
「あー、懐かしいコレー!!!」っつって。まだ純真無垢な頃の我が子の写真を見て「この頃は可愛かったなぁ」的なことを言うわけですよ。「それが今じゃ・・・」っつってチラ見してきたり。
ほんで幼稚園あたりに差し掛かって、それこそ『仮面ライダーのベルトを装着してる写真』や『ローラースケートもどきの靴を履いて、地面に付くくらいの長いハチマキをした写真』が出てきたら、
「この頃、本当に生意気でね~」みたいな流れで、自分以外の人間がキャッキャし始めます。・・・はっきり言います、不愉快です。
自分の覚えてないことを「あーだった、こーだった」っつって、当の本人を蚊帳の外に追い出して、何を盛り上がっとんねんと。しかも話にオチが無い。
「人を巻き込むなら、せめて話の最後くらい落とさんかい!」と。「どう落とし前つけんねん!」と。
そういうのもあって『写真』が大嫌いになりました。プライベートでも常に撮影係です。友達には「宗教上、まずいんだよね」っつって。
たまに、しつこく聞いてくる奴とか居ますけど「『らっ教』っつって、らっきょうを食べるのと写真を撮るのと、実の妹に「兄だ」と名乗ることを禁じられてる」って言えば、大抵が黙りました。
黙らない奴とは、幽遊白書の話で盛り上がりました。
中学入学のときに「頼むから1枚だけ・・・」って言ってきた母親に罵声を浴びせてしまったことは、今でも覚えてます。小学校の卒業式の写真も無いんだから、よっぽどですよね。
おかげさまで、中学に入ってからの写真がふぉとんどありません。
別に困ったことも無かったし、この先も困ることはないだろうと思ってたんですけど、ちょっと困りそうな事案について思い付きました。
例えば、なにか法に触れるようなことをしてしまって、写真が公開されるっつーようなときに、中学の卒業アルバムはやめて欲しいんです。
もうあんなん公開されたら「うわー、見た目からして危ない奴だな!」みたくなりますし。眉毛が、その辺のOLより無いですから。『まろ眉』ですから。
そして、いつか結婚して子供が生まれたとして、その子供が『青い瞳で金髪』だったら?黒々とした綺麗な髪を持つ妻は「私とアナタの子供よ!」っつってるけど。
青い瞳はまぁいいよ、どうせカラコンでしょ。髪はさ、どっちの遺伝子!?っつって。
自分の髪の毛を見ようにも既に無いし、ここ20年の写真がふぉとんど無いわけで。
小学校の時は黒だったけど、途中で変わった可能性とかあるじゃないですか?
思い当たる所で、悪友の仕業によってゴルゴ13の『13巻』だけ神隠しにあったときに、何かが目覚めて変わったかもしれないですし。
今まで温厚だったけど、怒りきっかけで目覚めたのかもしれませんし。
てか、逆にこの生まれたての子が目覚めた説もありますよね。生を受けて初めて見る新鮮な世界の中に、薄給・薄毛の父親を発見。
「うわっ!リセマラ、リセマラ」っつって。しかし、脳内で神様が「もうリセットはできん!」っつって。
「まじかよー、こんなん無理ゲーだよー」っつって、悲しみに暮れるあまり、泣きながら誕生してきたんじゃね?っていうね。
もしくは「おりゃー」って叫んでるのかも。ぶつけようのない怒りを表現してるのかも。
生まれてきた我が子の髪が金髪だった件につきましては『最初に振り分けられた己のパラメータの低さに怒りを覚えて目覚めた』って新説をここに。
あ、もちろん青い瞳はカラコンね。
え?髪もブリーチ?
生まれたてでブリーチって、羊水の成分を研究で発表したいわ!!!
まぁ、男の子だったら名前は『一護』で決まりかなぁと。
コメント
僕も昔の写真ほとんどありません。
でも親の若い頃の写真見るといいなって思えますね。
その時、子供のために自分の写真を残すというのもいいのかもしれないと思いました。
まあ子供を持つことが想像できませんけど。
まりおさん、
今はデジカメなんかもあってパソコンに保管もできるんで、
昔と比べると写真は身近なものになってますよね。
おりも子供できたら撮りたいです。
まあ子供を持つことが想像できませんけど。
死後の世界の方がまだ想像できますけど。