昔、因数分解なんかを教わって全然わからなくて、テストで悪い点数を取ってしまい一言。
「別に社会に出たら因数分解とか使わねーし!」っつって。ろくに数学を勉強しなかったことが災いしているのか、未だ『恋の方程式』も解けず。
当時、心に積もった雪も未だ溶ける兆しを見せません。
図太いのはもちろんですが、それ以上に太い学生ズボンとは裏腹に、薄っぺらい人間性だけが残りました。恋には縁が無いくせに、色んな所が薄い。
「英語?別に海とか渡らないんで。ツルじゃあるまいし」なんて言ってたら、頭に見事なツルが2羽。
『庭には2羽ニワトリがいる』なんて早口言葉がありますけど、頭の上には2羽ツルがいます。育毛剤も効きません。効いてるのは『とんち』だけっていうね。
それでも理科は好きでした。『二酸化マンガン』っつって教室が少し沸く瞬間なんかは大嫌いでしたけど。
『メスシリンダー』とか聞いて、安易なボケをするような人も大嫌いでしたけど。
あ、ちなみにそんなボケをしてた友人のあべっちは、沖縄基地問題のときにも『オスプレイ』に反応してました。人間って根本的には変わらないんだなぁと。
歴史なんかだと、もう教科書も分厚いし、やれ日本でウグイスが鳴き始めたかと思ったら、海の向こうではアッバース朝とか迎えてたりするわけで。
好きなあの子のことばかりが脳裏に浮かんで明けない夜があるかと思えば、わけのわからん朝を迎えたりしてるわけで。
もうね「過去は振り返らない主義ですから」っつって。「自分、不器用ですから」みたいなトーンで言ってたくせに、今となっちゃ先が見えないっていう。
出口のないトンネルかなんかをひたすら歩くって作業に入ってます。トンネルを抜けた先が『雪国』でないことを、ただ祈るばかりです。
あ、そういうこと?もしかして雪国だから、気温低くて心の雪とか溶けてないの?
まぁ気温よりも己の志の方が、限りなく低いって説もありますがね、ええ。
大して勉強はしてきませんでしたけど、学校はまぁ楽しかった思い出があります。
きっと『イイ友達』に恵まれました。そして、学校では多くのことを学んだような気がします。
「バナナはおやつに入りますか?」とか、いわゆる『グレーゾーン』には踏み込むなっていうね。
なんでもかんでも白黒付けりゃいいってもんじゃありません。そんなもんオセロくらいです。
漢字のテストでは献立表とか『今月の目標』から字を探します。なんなら先回りして、それ用に作っておくくらいの勢い。気付いたら学級目標が『凝視~Gyoshi~』みたくなってる。
パッと見、ちょっとしたホラーっぽいし。たぶんですけど、何かがきっと来る。
さらに言うなら、日直はクラスにいるはずのない太宰治と夏目漱石。
「三角形ABCにおいて、辺ABの長さが5センチのとき、辺ACの長さを求めよ」とか言われたら、実寸を定規で図って比率で求めてみたり。
穴埋め問題だったら「この解答欄のスペースに『墾田永田私財法』とか狭くね?」っつって。
マルバツ問題だったら、マルが何回も続いたら人知れず不安になって、イマイチ自信が無い問題をバツに訂正したり。
たぶん、こういうのが社会における『空気を読む』ってのに近い分野なんじゃないかなーって、今になって思ったりもするわけです。
あとはテストも軌道に乗り始めた頃、各教室を回ってきた先生が「問7の次が問9になっていますので、問8に訂正してください」とか言いだすやつ。
そんなんを触れて回るわけです。こっちからしたら「どうでもいいわー」なんて思ってるんですけど。むしろ「気でも触れたのか?」くらいに思ったりして。
たぶん、そういうことを言う人が多いからだろうなぁと。試験という名目上「見りゃわかるでしょ」とも言えない立場なんだろうなぁとか。
なにかしら言いたがる人っているじゃないですか?「大体わかるじゃん!」ってことも譲れない人。どの世界にもいると思います。もちろんブログ界も含めて。
そういうことすらも学んだような気がします。別に誰に教わったわけでもないですが。
とりあえず、人の意見は千差万別です。色んな人がいますから。
その中で、色んな人と上手に付き合っていきたいものです。色んな人との触れ合いを大切にしたいものです。
あ、ちなみにこのブログの運営者、沙悟浄まろは気が触れていますので、あしからず。
「毛が増えている」なら大歓迎なのになぁ。なんつって。
コメント
先生の引っかけ問題に生徒が質問して、試験監督の先生が大慌てしてしまい、それで「やはりこれは引っかけなんだな。」とクラス全員が納得したことがありました。出題した先生が「激おこ」だったのを懐かしく思い出しました。
マミーさん、そういう思い出話ってイイですね。
何年か経ってから、そいつを肴に一杯引っかけたりして。
というか。
『激おこ』って何か引っかかります。にやにや。