文章にもクセってあるんだなぁ。

ブログを書いてて変に意識しちゃうっつーか、ちょっとした落とし穴にハマりかかってます。

というのは『喋り口調』で文章を書くことにしてるんですけど、してるっつーか、せざるを得なかったっつーか微妙なラインでして。

普段、生活してて面白いって感じたことなんかを適当に綴ってるわけです。

本当は『彼女の心を掴んで離さない5つの方法』とか『軽減税率の仕組み』とか、そんなんがやりたい日もあるんですけど、残念ながらオツムの方が少しばかり足りないので。

どっちかっつったら、31歳にもなってオムツに近付いたんでね。

特別、文字数も意識はしてなくて、大体1500文字前後で仕上げてることが多いです。何の気なしに文章書いてったら1200文字くらいになるんで、そこにちょっと「クスリってしてくれたらいいなー」的な文章を足しとるだけです。

まぁ、いとも簡単に1記事、2記事って仕上がっていくわけです。クオリティの低いやつが。それはまぁいいんですけど、最近ブログを書いてて気になる点が出てきました。

前に書いた文章を読み直してたんです。「なんで人の目に付かないのかなー」っつって、対策を練る意味でも読んでたんですけど、ある重大な事実に気が付いたんです。

文章が面白くないってのは、一旦、寄せといてもらっていいですか?

そういう根本的なとこをイジりだすと収集つかなくなるんで。

今はメイクとかそういう方向の『カワイイは作れる!』って方の話をしたいんで「君の場合は骨格が・・・」とか、今は言わない方向でお願いします。

「たかし君だって一定速度で歩き続けるでしょ?」っつって。「暗黙の了解みたいな感じで忘れ物を弟に届けさせてくれるでしょ?」っつって。

なんか「~ですけど」が多すぎるんです。

極端に多い、もうくどい。疲れた、会社辞めたい。

気付いたら「~ですけど、でもですよ!」とか言っちゃってる。しかも、無意識のうちに自分でも気にしてる感があるんですよね。

例えば「愛と恋の何が違うかって考えたんですけど、恋って字で見たら下心じゃないですか?愛は無償の愛って言いますよね?でも、じゃあ愛の方が純粋な気持ちか?っつったら一概にそうは言えないと思うんですけど、字っつーのは昔の人が色々考えてできてますから、ちゃんとした由来があると思うんですが・・・」

とか「ですけど」の登場頻度に嫉妬して「ですが」が乱入してきたみたいになってました。これ、無意識過ぎて面白いです。

書き上げた後に時間置いてから、一応読み直して推敲みたいなことをするようにしてるんですけど、そのときに読んでるときのリズムつーかそういうのが気になって、幾つかの「ですけど」が「ですが」に変わってるんだと思います。

変に意識しちゃうと気持ち悪くなってきて「ですけど」の代わりに「けども」とか「だと思われますが」って言葉が「かびるんるんか!」っつーくらい蔓延するかも。

それから、喋り口調で書くうえで「ありまして」でいいところを「ありましてね」ってわざと書いてるって部分があります。文字数増やす理由の他に、なんか個人的にこういうの好きで。

ただ「ありますし」は「ありますしね」って書きにくいんです。「暴力的に映っちゃったりしないだろうか?っつって、ちょっと避けちゃう節があります。

「だしね」とかも同じです。考えすぎっつったらそれまでのような気もしなくもないんですけど。はい、でましたー。ですけど入りましたー。

『ですけど』って使わないように意識してたんですけど、逆に『けども』とか『ですが』に逃げるのもどうなの?っつって、文章書きづらいこと火の如しです。

もう意識すんのやめます。だって書きにくくなってきましたもん。だって書きにくくなってきましたもんね。

きっと『くどい文章』だからダメなんだろうなーっつって、でもそれを変えるだけの能力も無くて、それでも楽しいから書き続けていけたらいいなって思いました。

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